540 三井寺

2010年11月22日

No 2

2010.11.10(水)、京都の紅葉情報を出来るだけ正確につかみたいと思い、近場の比叡山延暦寺などに来て、その帰途近くにある、「総本山園城寺・三井寺」(大津市園城寺町)に立ち寄ったのである。 (拝観料¥500)

紅葉には未だ少し早く、訪れる人も少なく、ゆっくりと見る事が出来た。

「仁王門」

ウイキペディアによると・・・

園城寺(おんじょうじ)は、滋賀県大津市にある、天台寺門宗の総本山。山号を「長等山(ながらさん)」と称する。 開基(創立者)は大友与多王、本尊は弥勒菩薩である。日本三不動の一である黄不動で著名な寺院で、観音堂は西国三十三箇所観音霊場の第14番札所である。また、近江八景の一つである「三井の晩鐘」でも知られる。

三井寺は7世紀に大友氏の氏寺として草創され、9世紀に唐から帰国した留学僧円珍(天台寺門宗宗祖)によって再興された。三井寺は平安時代以降、皇室、貴族、武家などの幅広い信仰を集めて栄えたが、10世紀頃から比叡山延暦寺との対立抗争が激化し、比叡山の宗徒によって三井寺が焼き討ちされることが史上たびたびあった。近世には豊臣秀吉によって寺領を没収されて廃寺同然となったこともあるが、こうした歴史上の苦難を乗り越えてその都度再興されてきたことから、三井寺は「不死鳥の寺」と称されている。(中略)

文禄4年(1595年)、三井寺は豊臣秀吉の怒りに触れ、欠所(寺領の没収、事実上の廃寺)を命じられている。三井寺が何によって秀吉の怒りを買ったものかは諸説あって定かではない。この結果、三井寺の本尊や宝物は他所へ移され、金堂をはじめとする堂宇も強制的に移築された。当時の三井寺金堂は比叡山に移され、延暦寺転法輪堂(釈迦堂)として現存している。慶長3年(1598年)、秀吉は自らの死の直前になって三井寺の再興を許可している。これは死期を悟った秀吉が、霊験あらたかな三井寺の祟りを恐れたためとも言われている。秀吉の再興許可を受け、当時の三井寺長吏・道澄が中心となって寺の再興が進められた。現在の三井寺の寺観は、ほぼこの頃に整えられたものである。

明治維新後は天台宗寺門派を名乗っていたが、1946年以降は天台寺門宗総本山となっている。

「釈迦堂」

「金堂」

「弁慶引摺りの鐘」

「一切経蔵」

「三重塔」

「観音堂」は修復工事中

簡単ではあるが、三井寺の紹介は以上である。

                   完

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コメント

たきあん
2010年11月22日 19:34
木燃人さん
これがかの有名な三井寺ですか。これだけ有名なお寺ですが一度も訪問したことが無かったのでこれ幸いと写真でお参りさせてもらいました。 天台寺門宗の総本山にしては何と人出の少ないことでしょう。とても紅葉のシーズンとは思えないです。京都とは随分と違いますね。 先日、孫の幼稚園の運動会に参加しましたがすぐ近くなんです。、お寺より先ず孫です。


木燃人
2010年11月22日 20:02
たきあんさん
紅葉には少し早い平日でしたが、比叡山も似たり寄ったりでしたから、やはり、京都とは格段に違います。 ところで、このブログには、特に問題なしでしょうか?。


たきあん
2010年11月22日 22:36
木燃人さん
使い勝手の件 私は全体的に前の「ジュゲム」とほぼ同じ感覚です。 反応はやはり俊敏です。瞬時に反応します。 一度写真など見終わった後、コメントだけを覗く作業は「ジュゲム」も「ライブドア」もほぼ同感覚です。(結構面倒だと感じます) 先に紹介された3件のうちこの点だけについて言えば「FC2」が快適でした。 つまり、目次にコメントの一部が表示されますのでこれをクリックすれば即そのコメントに飛びます。最下段のコメントまでスクロールする必要がないのです。 こちらサイドの事ばかり言って申し訳ないです。 兎に角まず使ってみて試行錯誤です。


木燃人
2010年11月23日 08:34
たきあんさん
確かにそうですね。本文を読む読まないに関わらず最後までスクロ−ルしないと辿り着けないのは不都合なこともおありでしょうが、当面はこれでご辛抱願いたいのです。 FC−2、ヤフー、SONETなどは、HTML入力が優先するようになっており、また、私のように多くの画像を載せるには極めて不向きです。 ライブドアの利点は、カテゴリが2点、タグが無数書き込める点が他のサイトにないことであり、画像が50枚でも一括してアップロード出来る点に惚れたのですが、ここは2GBですから、いずれはパンクしますので、研究して行こうと思ってます。