591 洛中散策 (2) 廬山寺

2011年02月11日

洛中とはどの範囲なのか、正確なことは知らないが、過去のブログを整理する中で、明確な区分けが必要となり、地図に区分け線を入れた。その結果洛中としたのは、上京区、中京区、下京区それに南区とした。よって東は鴨川まで、北は相国寺、北野天満宮までで金閣寺や妙心寺は入れないとした。

この範疇に幾つの寺社があるかわからないが、一度は尋ねて見たい寺院を35寺とし、内過去に訪れたのは8寺で、8割近くが未だ行ってないのである。交通の便が少し落ちる洛北に次いで実績が低いことが解ったので、今回集中砲火(?)の対象としたのである。ここは、近いし交通の便はよく、隣近所、近くに集まってるから、歩いて回るには最高の所である。

では、一昨日に続き2番目を紹介しよう・・・・・ 訪問日2011.02.02(水)


洛中古寺シリーズ(2) 廬山寺 (ろざんじ)

所在地 上京区寺町通広小路上ル北之辺町397
   宗派   円浄宗本山
   拝観料  ¥400
   紫式部の邸宅跡に境内を持ち、節分の鬼の法楽も有名

ウイキペディアによれば・・・・

廬山寺(ろざんじ)は京都市上京区にある天台系の単立仏教寺院。圓浄宗の本山。本尊は阿弥陀如来。寺号は詳しくは廬山天台講寺(ろざんてんだいこうじ)と称する。紫式部の邸宅跡として知られる。比叡山延暦寺の中興の祖である良源(元三大師、慈恵大師)により天慶元年(938年)に京都の北山に創建。寛元元年(1243年)に法然の弟子である覚瑜が船岡山の南麓に再興、中国の廬山にならい廬山天台講寺と号した。

元亀3年(1571年)、織田信長の比叡山焼き討ちは正親町天皇の女房奉書により免れたが、豊臣秀吉の寺町建設によって天正年間に現在地に移った。度々の火事のため、現在の堂宇は寛政6年の再建になるものである。1965年(昭和40年)に考古・歴史学者角田文衞により紫式部邸跡とされた。御黒戸四箇院のうち現存する唯一の摂家門跡である。

明日は2月3日、節分祭がここでも盛大に行われるので、今日は皆さんが集まり、祭の準備にお忙しそう。来るのが、明日であると祭を見ることが出来たであろうが、写真がちゃんと撮れる保証はない、今日で良かったのか、明日の方かよかったか?・・・・。

今日は明日の節分祭の準備のため休日、故に、紫式部の庭に入ることは許されなかったのである。・・・残念!。

 京都の節分会の代表行事の一つである当山追儺式鬼法楽は通称「鬼おどり」と云われ、開祖元三大師良源が村上天皇の御代に300日の護摩供を修せられた時に出現した悪鬼を護摩の法力と大師が持っている独鈷、三鈷の法器でもって降伏させられたという故事によるものである。この三鬼は人間の善根を毒する三種の煩悩、即ち貧欲・瞋恚・愚痴の三毒を表現しているもので、この三毒を新しい年の運勢の変りめと云われる節分の日に追い払い、又、福寿増長を祈念し、一切の悪疫災難をはらうことによって開運をはかり新しい節を迎えるという法会行事である。

この豆をひと粒食べると3年長生き出来ると言うし、この鬼おどりを見たかったが、当日はここに3千人も集まると言うから、混雑も予想されるので、敬遠したのであったが、少し惜しいとの気持ちを押さえつつ、次の地へと向った。


”お知らせ”

鋭意製作中の「ブログの索引」が略出来上がったのでお知らせします。特にこの度は、懸案であった”花全般”を公開しました。従来は主要な花のみでしたが、今回、その他の花を載せることで、全ての花、全331種類を掲載しております。

     http://mokunen.c.ooco.jp/blog-idx/b-idx-0.html

なお、各花の右の蘭をクリックして戴きますと、その花を掲載しているページに飛びますので、その中で見たい花を探して下さい。 また、植物園などの外国の名も聞いたことのないような花や、名前の不明のものは載せていません。

また、古いブログにコメントを戴いた場合ですが・・・ @ ”認証制”としてますので、公開は少し遅くなります。(原則翌日) A 必ず返事は差し上げてます。 B 返事の場所は書いて戴いた、そのブログになります。

                以上

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コメント

shuttle
2011年02月11日 21:56
木燃人さん
この廬山寺は、紫式部の邸宅跡と言うことでしたが、実家の父親は、藤原の為時、夫は、藤原宣孝です。共に受領階級で、中級貴族です。中級でも、大きな屋敷を構えていたわけですね。お写真の中程の像は、木造ですか。何か訳ありの像でしょうか。帽子を被り、前掛けをつけていて不思議な像です。


木燃人
2011年02月12日 09:00
shuttleさん
あの像は木製のように見えました、当日は翌日の節分祭の準備中で、この像は軒下の臨時の場所に置かれていましたので、何ら説明は見当たりませんでした。 もっと調べればよかったのですが、本来休日で参拝はさせない日のようで、深入りは出来なかったのです。


たきあん
2011年02月12日 21:50
木燃人さん
紫式部邸跡がこの廬山寺の売り文句なのでしょうね。何か無理に後からこじつけた様な説明です。 これだけ寺数が多いと少々の売り文句では説得力がありません。紫式部なら超一流の看板です。 お寺といえども華厳時の和尚の様に商魂逞しくやらないと厳しい京都で生き残れないのかも。 この木造仏もきっと何かのネタがあるはずです。


木燃人
2011年02月13日 18:07
たきあんさん
古いお寺には、少し眉つばもどきの、言い伝えがありますね、本当の所はどうなのか、それはちょっと置いといて、その話に乗るのも面白いことではないかと、最近は思うようになりました。年をとった証拠かも知れませんが、”それもよし”です。