593 洛中散策 (4) 革堂

2011年02月15日

2011.02.02(水)、雪の京都を撮るつもりが、只の冬の京都になってしまったが、久々の”てくてく歩き”にとりかかり、今日はその3回目のリポート、5ヶ所目の訪問先紹介である。

「府立病院前BS」にてバスを降り、清浄華院、梨木神社、廬山寺、御苑を経てここ革堂に到着したが、ここまでのおよそ歩いた距離はまだ約1.5Kmである。


洛中古寺シリーズ(3) 革堂(こうどう) 正しくは「行願寺(ぎょうがんじ)」

在地 中京区寺町通竹屋町上ル行願寺門前町17
   宗派   天台宗  霊ゆう(鹿の下に七)山
   参拝料 境内自由
   西国観音第19番札所として親しまれ、町衆が集まった寺町通の町堂
   通称”革堂さん(こうどうさん)”と呼ばれているそうだ。


ウイキペディアによれば・・・・・・

行願寺(ぎょうがんじ)は、京都府京都市中京区にある天台宗の寺院。山号は霊ゆう山(「ゆう」の漢字は「鹿」の下に「匕」)。本尊は千手観音。通称、革堂(こうどう)。西国三十三箇所第十九番札所である。 『百錬抄』、『日本紀略』等によれば、行願寺は寛弘元年(1004年)、行円が一条小川の一条北辺堂跡に創建したものである。一条北辺堂については、『日本紀略』永祚元年(989年)8月13日条に「一条北辺堂舎倒壊」とあり、行願寺の創建以前から存在したことが裏づけられる。当初の寺地は現在の京都市上京区、京都御苑の西方で、付近に革堂町、革堂仲之町、革堂西町の町名が残る。行円は仏門に入る前は狩猟を業としていたが、ある時、山で身ごもった雌鹿を射たところ、その腹から子鹿の誕生するのを見、殺生の非を悟って仏門に入ったという。

行円はその鹿の皮を常に身につけていたことから、皮聖、皮聖人などと呼ばれ、寺の名も革堂と呼ばれた。行円の生没年は未詳だが、比叡山の横川(よかわ)出身の聖と推定されている。藤原道長の息の藤原顕信は寛弘9年(1012年)、行円のもとで剃髪出家している。寺は豊臣秀吉による都市計画のため、天正18年(1590年)に寺町荒神口(現・上京区、京都御苑東側)に移転。宝永5年(1708年)の大火の後、寺町荒神口の旧地からやや南に下がった現在地に移転した。


本堂

本堂から表参道を見る

庫裏

革堂にまつわる悲しい伝説がある・・・・

革堂の寺宝の一つに、毎年8月20日過ぎに公開される有名な「幽霊絵馬」がある。  その昔、革堂に遊びに来ていた子守娘が浄土宗の御詠歌を子供に教えているのを見た法華信者が、娘を殺し土中に埋めた。娘の両親は革堂の千手観音に願をかけ、娘の死の真相を知る。両親は絵馬に若い女性の幽霊を描き奉納したという。これが「幽霊絵馬」である。

加茂明神塔(鎌倉時代の作とか)

今日の”京都てくてく”は、小さい寺ながら、一体いくつ回れるか、挑戦の旅でもあり、先を急がねば!。


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コメント

shuttle
2011年02月15日 18:49
木燃人さん
「革堂 正しくは「行願寺」は、「寺町通竹屋町上ル」にあるのですね。寺町と言う場所には、名前の通りお寺が多いのでしょうか。小説にも良く出てきますね。寺町通りを、私も何回か通った経験があります。小説に惹かれて、です。確かにこのお写真のような風景が幾つもあったような気がします。「革」の由来が尤もらしいですが、鹿を殺そうとした狩人を、戒める為、自身鹿の皮を纏って、猟場に出かけた高僧の話も有名ですね。法華経信者が、浄土宗を仇にした例など、宗教は、人を盲目にします。


木燃人
2011年02月15日 19:45
shuttleさん
おっしゃる通り、この辺り一帯はお寺の密集地、寺町と言うにふさわしいと思います。 都市の発展人口の増加により、元は広かったのでしょうが、お寺や神社がかなり押し込まれてますが、昔のよき時代の名残が感じられていいものです。 いつもは大体に於いて、拝観料を払って入るので、手を合わせることが少なかったのですが、今回は拝観料をとる所がないので、賽銭を入れましたので、つい手を合わせていました。神妙な顔で・・・・。


たきあん
2011年02月16日 09:11
木燃人さん
解説を読めば寺の名「革堂」はもう忘れないでしょう。しかし「行願寺」は忘れそうです。 「五輪塔」が写っていますが興味がありますね。切り口をここから辿っても面白いかもしれません。 悲しい伝説「幽霊絵馬」がありましたか・・・やっぱりね。 寺町は秋葉原や日本橋のように電気屋街でパソコンを見によく通っています。そんなにお寺ってあったかなあ..。


sawaka
2011年02月16日 09:11
木燃人さん おはようございます。
京都の、神社仏閣の多さは知っています。京都御苑までは観て回りますが、小寺まで回ると、可也の数でしょう。宗派の違いもありますので、地元の人は、宗派の参拝のみでしょうか?我が家は、心の信者ですが、小さいお寺の生き残りは大変でしょうね、昔から、教師を副業にする僧もいました。 行円の「鹿の話」を聞かせて頂き昔から伝えられた伝説は、説得があますね。


木燃人
2011年02月16日 09:51
たきあんさん
お寺の密集地はこの「革堂」より少し南、市役所の通りの南ですね、今はアーケードがあるので、通ってもお寺がそんなにあるようには見えませんが、裏に回ると、びっしりとお寺が詰まってるのには驚きました、こんなにあって、やってゆけるのかいな?。 寺町界隈は専門店街ですから、”通”には、思い出がいっぱいありそうですね。


木燃人
2011年02月16日 09:56
sawakaさん
先ほども書きましたが、お寺の存在ですら、あやしくなり、忘れられつつあるように思いますから、どうやって食ってるのか、気になります。 宗教法人ですから、美味しい御馳走が何処かにあるのでしょうね、多分!。