2011年05月28日  No 650

病気との関わり


1.始めに

”こそ泥(腹痛)”で身柄を拘束(入院)され、いろいろと取り調べ(検査)を受けたが、老朽化により、叩けば埃の出る体、次々と悪事(病気)がばれて、再逮捕(手術要)で私にとっては始めての長期間留置(入院)をされていたために、ブログを出すことが出来ず、折角お尋ね戴いた方々に、大変申し訳ないことであり、ここに深くお詫びを申し上げる次第である。

現時点での処置は当面の”痛み”を取り除いたのみで、その原因除去や、発覚した別の大罪への処置は、これから始まるが検察(病院)の都合で、今は一時釈放されているのであり、安静を要する事には変わりなく、ブログの取材は憚られる。よって、写真無しで、また誠につまらない話材ではあるが、”私と病気との関わり”と題して書いて見たいと始めた。


2.持病

父は80才まで生き肺がんで、母は48才の時脳卒中で、たった一人の弟は20才の時、盲腸炎から腹膜炎をおこし逝ってしまったが、私は大きな病魔には襲われる事はなく、仕事のストレスと喫煙からの高血圧を下げる薬を飲み、ゴルフ後の飲酒で痛風を発症、尿酸値を下げる薬のご厄介になっている程度で、”至って健康”だと自慢していたものだ。

今から10年位前、60を少し過ぎた頃に、日曜日の自宅で突然猛烈な腹痛がやってきた。余りにも痛いので、当時一番近い内科医に行ったが、超満員であり私はそこでは始めての客、いくら痛くて、畳の待合室で転げまわっていても、診てはもらえなかった、寒い時期だったが、全身汗びっしょりになって約一時間耐えた後、ケロリと痛みは消えたのであった。

その後もその「胃の辺りから背中にかけて」を棒で突き上げられるような猛烈な痛みは発生し、仕事にも影響が出始めたので、当時の勤務先に最も近い病院「国立三重中央病院」に痛みを堪えて駆け込んだが、ここは官僚の世界、こちらの痛みはお構いなく、放置されていたので、やがては痛みが消えてしまい、時間切れもあり、何も処置されず帰って出直すことにした。

翌日、再度この病院を訪れたのであるが、何も検査などせずに腹を押さえて見ただけで、暫く様子を見ようと鎮痛剤を処方するに留まったのであった。後から知ったことであるが、この医師は病院を辞めて開業を真近に控えており、余計な事に首を突っ込みたくなかったので、お座なりな診察になったものと感じた。

その後も再々痛みは発症するので、胃の専門医を訪れたがここでも鎮痛剤を与えられたのみであった。更に四日市市立病院に来て始めて「胆嚢に砂」があり、これが動くからかも知れないとしながらも、やはり鎮痛剤の処方に留まってしまった。以来、痛みが出たら直ぐに鎮痛剤を2錠飲むと言う事が定着し、私の持病としての地位(?)を占めたのである。

仕事を辞めてからは、痛みが発症することは年に1〜2回以下となり、鎮痛剤で済ませることで充分な効果を得ていた。依って、内科医への用はなくなり、残るは、膝の痛みと痛風予防の薬は欲しかったので、整形外科医には行き、ついでにと血圧の薬も鎮痛剤も全てを整形外科医でもらっていた。

3年ほど前までは、朝、目覚めた直後、置き上がる前に血圧を測定していたが、上が100を切ることがあり、下がりすぎなので、薬を止められないかその整形外科医に相談したところ、簡単に認められたので、コストダウンが出来たと喜んだものであったが、それが今日の大きな災いの原因になるとは、夢にも思わなかったのであるが、それは後述としたい。

                    <続く>


この続きは追って書いて行くが、入院以前に書きかけのブログがある、それはやはり花が主体であるために、今や季節外れとなった記事ではあるが、それらを挟みながら公開して行こうと考えている。なお、書くのは体調次第なので、従来の如く定期発行とは行かないので、ご理解を賜りたいのである。

また、大きな手術の直前である、その不安とさらにその後の爆弾を抱え、半病人、ただ生きてるだけの生活が待って居り、生きる事にさえやる気を鼓舞しなければならないような、消極型人間になり下がっているので、文章にもそれが出て、面白くなく、嫌味までも出るかも知れない点をあらかじめお断りをして置きたい。

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コメント

たきあん
2011年05月28日 21:21
木燃人さん
「花と寺」をこよなく愛する木燃人さんが何故こんな目に・・・ しかし「こそ泥」のお陰で命拾いをした訳ですから大変幸運だったと思うべきです。 「私を忘れろ」なんて酷いことを仰ったあの日から私もショックで落ち込んでいます。 「京都東山散策の締め括り」のメタボの牛若丸は初めてお会いした「忘れ得ぬ場所(五条大橋)」とコメントしたのをお忘れか? 兎にも角にも、木燃人さんは飛ばし過ぎです。見ていてもハラハラです。 花図鑑がもう出来ないのですか? そんなに急ぐのですか? 何度も言いますが細く永くやりましょうよ。 奥様の為にも頑張って下さい。微力ですが応援します。(返信は無用です)

shuttle
2011年05月29日 09:45
木燃人さん
そうですか。ご病気、検査入院だったんですか。ご説明でよく分かりましたが、言ってみれば「胆石」と言うことですね。この病気は、激烈な痛みを伴うことで、よく知られています。長年、そのままにして来られたのを、いよいよ手術で取り除こうと言うのですね。以前は、全身麻酔、開腹手術でしたが、現在では、もっと進んだやり方もあると聞いています。激痛の原因を除去して、また、お元気に活躍されることを心からお祈りしています。

sawaka
2011年05月29日 21:15
木燃人さん こんばんは
木燃人さんの、ブログを拝見して、主人と何があったのかと、心配していました。原因 が分かって、ホットしています。木燃人さんのブログのないのは、淋しいです。 ゆっくり静養して、完治され、ブログを始めて下さい。気長に待っています。

木燃人
2011年05月31日 08:36
たきあんさん
そうでしたねー!、あの五条大橋の袂、メタボ牛若弁慶前は、最初に逢った思い出の場所、少しの緊張と期待感を覚えた時でしたね。
以来、京都では再々車で運んで戴き、奥さんもご一緒に寺社回りして戴き、また、美味しい「湯豆腐」を御馳走になったこともありましたねー。楽しい思い出です。
先回、長岡京で寺社を3ヶ所ほど回り、車に載せて戴いた直後に、急に声が枯れてしまったことがありましたが、あれは、動脈が膨らみ声帯か気道なのか解りませんが、どちらかを圧迫したことが原因と解りました。
もし、あの時環境や体調によっては、たきあんさんに多大なご迷惑を掛けることになった事を思うと、これから先は慎重に成らざるを得ません。但し、私にとっては、一番楽しい気持ちの中で、眠ってしまえるのですから、願っても無いすばらしい最後が得られたかも知れない瞬間でもあり、少し残念な気もないではないのです。

木燃人
2011年05月31日 08:46
shuttleさん
胆管に落ちた石は、胃から内視鏡とメス、ワイヤを挿入して、除去しました。それが安定したので、腹痛の原因を作る、胆嚢を除去することになっていました。この手術は腹に4ヶ所穴を開けて、胆嚢を取り出すので、極めて簡単な手術なので、何も悩む事は無く、ただ、その後は大好きな肉類や中華料理などがあまり食べられないのが残念なだけなのですが、私の場合はもうひとつ大きな爆弾をかかえているのですが、それらは、順次ブログで述べてゆきたいと思っています。

木燃人
2011年05月31日 08:56
sawakaさん
今まで”元気だけが取り柄”と自慢してましたし、事実一切の薬は飲んでいなくて、カメラ持って飛び回っていましたが、”ちょっとやり過ぎだ”と神の怒りを買ってしまったようです。やはり、私だけが幸せな時間はそう長くは贅沢だとの戒めかも知れません。
行きつく所まで、行かねばその後どう生きて行くかは決まりません。先の事を考えると、憂鬱になるし、かと言って忘れるために何かをしようとする気力の減退も大きく、ぼんやりしている時間が長くなっています。
ご夫妻のブログへの訪問にも二の足を踏んでいます、お許しを戴きたいのです。