645 長岡京散策(1) 長岡天満宮

2011年05月31日

記事としては少し旬を逸しているが、折角撮ったのであるし、今は取材(?)に出るのは難しいので、暫くの間ご勘弁を戴きたいのである。


長岡天満宮

京都は桜花見を兼ねて、4月11日に尋ねたが、昨年来の宿題「長岡天満宮」の真っ赤なつつじを見る機会を伺っていた所、4/24日現在、1〜2分咲きとの情報を得たので、連休を嫌ったぎりぎりの日が本日、2011年4月27日(木)、連休中を避けたいので、普通なら中止するような「曇り時々雨」の予報も決行止む無しとしたのであった。

今回は久々に、京都の友が同行してくれると言うので、いつもの寂しい一人歩きではないので、喜び勇みやってきたのであった。

友は洛西が住まいのため、無駄な混雑京都市内ドライブを止め、「長岡天満宮」集合とした。私は新名神を走る定期高速バスにて京都に入り、国道一号線にある「五条京阪BS(バス停)」 で下車、阪急電車の「清水五条駅」までの数分を歩いた。

そして、阪急京阪本線を一区間だけ乗車(¥200)、「祇園四条駅」で下車、数分歩き同じく阪急京都線の「河原町駅」に来た。ここから、特急に乗り13分で「長岡天神駅」に到着、下車後歩く事10分程にて、天神さんの表玄関に着く前から、友が手を振ってくれていた、よい目をしているなあと感心しつつ、久々の再会を喜んだものだ。

心配した空模様も、先行きには不安が無くは無いが、取りあえずは青空が見えており、多くの参拝者達と一緒に参道のつつじに向ったのである。

ここを前回訪れたのは、かれこれ十数年前、今日は満開前の一番きれいな状態、バージン状態の真紅のつつじを見せてくれた。

この写真を撮りたくてやって来たも同じである・・・・・・・。

この後は、いつものように寺社を廻ったが、それは次回に紹介したい。


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コメント

たきあん
2011年05月31日 20:54
木燃人さん
久々のブログを見て安心しました。今ホットしています。 こんなに寂しい思いをするとは自分でも意外です。 長岡京では調子が悪かったのですね。気が付かずに本当に申し訳ありませんでした。 それにしてもツツジの何と綺麗なこと・・・ 神護寺の紅葉と共に私の大きな財産になりました。 有り難うございました。 (コメントなど無理をしないで下さい)


sawaka
2011年05月31日 21:43
燃人さん
長岡天満宮のつつじは、見事の言葉しか浮かんできません。綺麗ですね〜燃えるようなつつじの色に、ため息です。私も、来年は、是非行って見たいです。さくらの季節も綺麗ですが、この燃えるようなツツジの花も、良いですね。今年は、此方ではツツジの花も、ふじの花も、駄目でした。綺麗な花を見せて頂きました。有難うございました。


木燃人
2011年06月01日 12:45
たきあんさん
いろいろと心使いをありがとう。 持つべきは”よき友”しみじみとそう思います。 2〜3日早目のつつじでしたが、この大きな木全体が真っ赤になるのは、見事なものです。十数年ぶりにみましたが、改めて感動しました。
当日あのような症状はありましたが、それ以外は全く正常でしたから、楽しく快適な一日となりましたから、ご安心ください。最悪の時は多分急に大吐血をして、気絶し殆ど即死に近い状態といわれてますが、そうなれば車を汚し大変な迷惑になったと、誠にヤバかったのですが、その時は気が付かず、駅でビール飲んで、良い気分で帰りつきましたので、ご安心のほど。


木燃人
2011年06月01日 12:53
sawakaさん
ほんとうにここのつつじは別格です。躑躅の木が身長よりも高いので、その迫力はすさまじいものがありますが、私の腕ではそれが必ずしも表現出来ていませんので、是非その目で見られることをお勧めします。
私が見たのは8〜9分咲きと言った感じですが、満開の一歩手前のようでしたが、これを過ぎると、全体は赤くなりますが、色褪せる部分も目だってくるので、これ位が丁度良いのかも知れませんね。


shuttle
2011年06月01日 15:34
木燃人さん
長岡天満宮へは、お参りしたことがありません。長岡京と言うのは、平安の昔、業平などと関係が深く由緒ある土地ですよね。道真公が九州へ流された時、立ち寄った場所とも言われ、「天満宮」が建てられたのでしょうね。


木燃人
2011年06月01日 16:12
shuttleさん
天満宮と名の付く神社は北海道から九州までの各地にあるようですが、ちょっと調べてみましたら、一番多いのは大阪府の22社、次いで大宰府を含む福岡県と東京都が各14社、兵庫県の13社、京都府の11社などとなっていましたが、随分沢山あるようで、全部を廻るなんて到底無理な事がわかりました。これら全てに「菅原公」が直接絡んでいたとは少し考え難いですが、大きな影響力を持っていたことは事実のようですね。