665 奈良古寺めぐり(3)浄瑠璃寺(京都)

2011年12月02日

そろりそろりと様子をみながら、自力での”お出掛け”の範囲を広げているが、今日は私がハンドルを握り、少し足を伸ばして、奈良の古寺を廻ってみようとやってきた。

一旦奈良市に入り「芳徳寺」を見たあと、近くの寺を総なめしようとして、京都の南端木津川市に入り、「岩船寺」のすぐ近くの「浄瑠璃寺」に来たのである。

「浄瑠璃寺」  (じょうるりじ)   通称:九体寺(くたいじ)

         真言律宗 小田原山
         京都府木津川市加茂町西札場
         拝観料境内無料  駐車料¥300


浄瑠璃寺の所在する地区は当尾(とうの)の里と呼ばれ、付近には当尾石仏群と呼ばれる、鎌倉時代にさかのぼる石仏、石塔などが点在している。行政的には京都府に属するが、地理的には奈良の平城京や東大寺からも近く、恭仁宮跡(奈良時代に一時期都が置かれた)や山城国分寺跡も近い。

浄瑠璃寺の起源や歴史については、当寺に伝来する『浄瑠璃寺流記事』(じょうるりじるきのこと)という14世紀の記録が唯一のよりどころである。それによると、当寺は永承2年(1047年)、当麻(たいま、現・奈良県葛城市)の僧・義明上人を開基(創立者)、阿知山大夫重頼を檀那(後援者)とし、薬師如来を本尊として創建されたものであるという。義明上人、阿知山大夫重頼の2人の人物については、詳しいことはわかっていないが、重頼は地元の小豪族であろうと推定されている。

浄瑠璃寺は九体阿弥陀如来を安置する寺として知られているが、創建当初の本尊は薬師如来であった。九体阿弥陀如来を安置する現・本堂の建立は創建から60年後の嘉承2年(1107年)のことであった。1つの堂に9体もの阿弥陀如来像を安置するという発想は「九品往生」(くほんおうじょう)思想に由来する。「九品往生」とは「観無量寿経」に説かれる思想で、極楽往生(人が現世から阿弥陀如来のいる西方極楽浄土へと生まれ変わる)のしかたには、仏の教えを正しく守る者から、極悪人まで9つの段階ないし種類があるという考えである。

中世から近世にかけて浄瑠璃寺は興福寺一乗院の末寺であったが、明治初期、廃仏毀釈の混乱期に真言律宗に転じ、奈良・西大寺の末寺となった。


「本堂」


本堂と池を挟んで正面に位置する「三重塔」


「三重塔」


「梵鐘」


境内を見て回って、かすかな記憶が蘇った。確かここはかなり前に来ているが、何時誰と来たのかが全く思い出せない。大好きな作りの建造物や庭なのに思い出せない。ついにボケたか?。


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コメント

shuttle
2011年12月02日 13:45
木燃人さん
この「浄瑠璃寺」へは、私は2回訪れています。本堂の中の九体の大きな阿弥陀仏坐像は、印象的でした。若くして死んだ「堀辰雄」と言う作家が「大和路」と言う作品を書き、中に「浄瑠璃寺の春」と言うい名文を残しています。国語の教科書にも出ていて、授業したこともあります。先に名文の雰囲気を味わってしまうと、実際の浄瑠璃寺も「九体寺」というお寺の娘さんの表現のように感じられるから不思議です。その作品の中に、この池も、山門も、三重塔も出ています。


木燃人
2011年12月02日 18:23
shuttleさん
へぇー!、そんなことがあったのですか!。 学のない私には、そんな深い言われなど全く気にもせず、ただシャターを押すだけでした。どこのお寺などにはそれぞれに歴史と由緒がある事を改めて教えて戴きました。 ありがとうございました。。


瀧庵
2011年12月02日 21:03
木燃人さん
通称、九体寺(くたいじ)の由来の説明で、極楽往生のしかたには、仏の教えを正しく守る者から、極悪人まで9つの段階があるところからきているとの事、誰が決めたのでしょうね。 私は極悪人ではないと思いますが仏を信じてないから5番目あたりかな? 極楽への憧れは全くありません。生きている間が大事で死んだ後の事など気になりません。


sawaka
2011年12月02日 21:12
木燃人さん こんばんは
「浄瑠璃寺」での紅葉は、今年度の一番美しい紅葉では、と私は思いました。紅葉の三重の塔の風景は、額に入れて飾りたいような、素晴らしいアングルです。絵になりますね。 池のほとりの紅葉と家の風景がこれから、厳しい冬を迎える象徴に思いました。木燃人さんが、京都 奈良をこよなく愛する気持ちが、伺えます。素晴らしい風景を見せて頂き有難うございました。


木燃人
2011年12月03日 09:14
たきあんさん
私は仏の教えにはそんなに反してないと思いますし、極悪人の部類には入らないと思いますが、お寺さんに入って参拝料を払った時は素通りしますし、払わない時は、僅かな賽銭を入れて一応手を合わせますが、これは写真撮らせてもらうためであって、信心ではないから、3段目くらいにしかならないかなあ!。自分が死んだら全ては消えて無くなるのみ、死後などはあり得ない、私も同じ考えです。そんなことをでは地獄に落ちるぞと驚かされても何とも感じませんが、悪い事はしない積りです。


木燃人
2011年12月03日 09:20
sawakaさん  おはようございます。
ここに来て、やっと本物の紅葉に逢えました。 この「三重塔」は、妻の審査にも合格し、A4サイズに印刷して、居間に飾られる栄冠を得ております。
京都、奈良は昔から大好きですねー。特に京都は行くとなると、胸がはずみます。今年も残り少なくなりましたが、もう一度京都には行きたいと狙っています。