675 山科宇治の古寺(4)隋心院

2011年12月20日

「岩屋寺」から「勧修寺」の門前を通り、15分位走ったところに「隋心院」がある。ここは昨年「醍醐寺」の桜を見に来て次に入る予定にしていたが、時間が足りないために、もう一寺しか見られないことになり、ほんの少し回り路になる「隋心院」は効率が悪いと判断しパスして「勧修寺」に向ったのであった。

所が「勧修寺」はすでに門が閉まり入れて貰えなくて、門の写真を撮ったのみで帰途に着いたのであるが、「醍醐寺」の桜も以前来た時よりも華々しくないし、「隋心院」を選ばず、「勧修寺」にした事の後悔などがあって、あの日の足の重かったのは今も忘れる事は無い。もう歩くのさえ億劫になり、タクシーを拾って早く帰り、京都駅地下でのビールに気持ちを向けたのであった。


小野小町ゆかりの寺

「隋心院」

         京都市山科区小野御霊町
         真言宗大本山
         拝観料¥500  駐車無料


我々が入る通用門

「薬医門」

隨心院は、仁海(954 - 1046)が創建した牛皮山曼荼羅寺(ぎゅうひさんまんだらじ)の塔頭であった。仁海(954 - 1046)は真言宗小野流の祖である。神泉苑にて雨乞の祈祷をたびたび行い、そのたびに雨を降らせたとされ、「雨僧正」の通称があった。曼荼羅寺は仁海が一条天皇から寺地を下賜され、正暦2年(991年)に建立した寺である。伝承によれば、仁海は夢で亡き母親が牛に生まれ変わっていることを知りその牛を飼育したが程なく死んだ。それを悲しみその牛の皮に両界曼荼羅を描き本尊としたことに因んで、「牛皮山曼荼羅寺」と名付けたという。なお、これと似た説話は『古事談』にもあるが、そこでは牛になったのは仁海の母ではなく父とされている。

第5世住持の増俊の時代に曼荼羅寺の塔頭の一つとして隨心院が建てられた。続く6世顕厳の時には順徳天皇、後堀河天皇、四条天皇の祈願所となっている。東寺長者や東大寺別当を務めた7世親厳(1151 - 1236)の時、寛喜元年(1229年)に後堀河天皇の宣旨(せんじ)により門跡寺院(皇族や摂家出身者が住持として入寺する寺院)となった。その後一条家、二条家、九条家などの出身者が多く入寺している。

その後多くの伽藍が建造され、山城、播磨、紀伊などに多くの寺領を有したが応仁の乱によりほとんど焼失した。『隨心院史略』によれば、応仁の乱後は寺地九条唐橋や相国寺近辺などへたびたび移転している。その後慶長4年(1599年)、24世増孝(九条家出身)の時、曼陀羅寺の故地に本堂が再興されている。

江戸時代中期の門跡であった堯厳(1717 - 1787)は、関白九条輔実の子で、大僧正に至ったが、九条稙基が夭折したことを受けて寛保3年(1743年)還俗し、九条尚実と名乗って関白、太政大臣の位に至っている。

真言宗各派は明治以降、対立と分派・合同を繰り返した。御室派、醍醐派、大覚寺派等が分立した後も隨心院は「真言宗」にとどまっていたが、明治40年(1907年)には当時の「真言宗」が解消されて山階派、小野派、東寺派、泉涌寺派として独立。隨心院は小野派本山となった。その後昭和6年(1931年)には真言宗小野派を真言宗善通寺派と改称。昭和16年(1941年)には善通寺が総本山に昇格した。現在は宗祖空海の生誕地に建つ善通寺が善通寺派総本山、隨心院は同派大本山と位置づけられている。

また近年、昭和48年には「はねず踊り」を創めたり、平成15年には「ミス小町コンテスト」、平成20年にライトアップ、平成21年には若手アーティストによる「極彩色梅匂小町絵図」という障壁画を取り入れたりと、新しい仏閣像を作り出している。


「小野梅園」


「大玄関」


「歌碑」


「庫裏」  ここから拝観料を払って本堂などに入る。


流石は世界の三大美女、絶世の美女ゆかりの寺、ふすま絵も俄然きらびやかである。


ここを出たあとは、南下して「醍醐寺」の門前を通り、「法界寺」に向ったが、塀ごしに「醍醐寺」の境内がちらちら見える、入りたいがもう時間が無い、もしも”美しい紅葉”が見えたらどうなっていたか不明であるが、幸か不幸か紅葉は目にはいらなかった。ようやく高ぶる気持ちを押さえ、予定通り次の訪問地に向った。


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コメント

shuttle
2011年12月20日 19:20
木燃人さん  今晩は
山科宇治の古寺「隋心院」は、解説を丹念に読みましたが、小野小町との関係は、いま一つはっきりしませんでしたね。ある場所は、「山科区小野御霊町」ですから、何か矢張り関係があるのでしょうね。小町の歌碑があったり、平安朝風の襖絵があったりと、華やかな雰囲気があります。しかも、昔から平安貴族が多く入寺していたんですね。貴族的な雰囲気に満ちています。


瀧庵
2011年12月20日 20:15
木燃人さん
そうでした。あの日は我家に来て頂き話に夢中になって出発が遅くなったのでした。訪問件数のノルマがあるとも知らずお引止めし申し訳ないことをしました。
文面を読むと相変わらず件数アップに必死の感が伝わってきます。「薬医門」を見ているとタイムスリップして何処からか刀を下げた武士が出てきそうです。ゆっくり雰囲気を味わうなんて今の木燃人さんには無理みたいですね。


木燃人
2011年12月21日 09:07
shuttleさん  おはようございます。
小野小町との関係は明確ではありませんが、ここに絶世の美女がいたと言うだけで夢が膨らみ、目に入るものすべてが、華やいで見えて楽しい気分にしてくれます。これで庭に花が咲いてたらもっと嬉しくなると思います。
その意味で、ここには梅の季節に是非訪れ、小野梅園を見たいたいと思います。


木燃人
2011年12月21日 09:16
瀧庵さん
私とてゆっくりのんびりと、雰囲気に浸ったり、三脚を据えて渾身の一枚にこだわりたい気持ちは当然あります。しかし、高いバス代払って来て、ブログのネタが得られないのは、大変に効率悪く困るからなのです。
しかし、後から書きますが、もうそれも止める決心をしました。京都の有名な寺の半数に近づいたので、慌てて見ると京都に行く目標がなくなるし、写真の質を上げたいし、体調もこれありですから、消極型人間になるのも止む無しと考えたのです。