677 山科宇治の古寺(6)万福寺

2011年12月24日

2011.12.10(土)、突然の思い付きでやってきた京都山科、宇治の古寺巡りもここでまだ6寺にしかならない。道路は高速を降りた直後の国道のみが渋滞で他は土曜日にしては極めてスムース、昨年桜の時期の醍醐寺前の通りで大渋滞があったのが嘘のよう

しかし、秋の日は沈むのが早いし、坊さんもサラリーマンの様に、門を16時にはきっちり締めるので、今日は朝の出が遅かったことも含め、今日見るのは6寺で打ち止めせざるを得なかった。京都に来る時はやはり、9時に現地寺着が原則と再認識した次第。今日はまだ体力も充分残っており、帰るのが少し勿体ないが、腹八分が健康のためとして、長い間入るチャンスを待っていた、本日最後になる、珍しい中国様式の寺にはいった。

「万福寺」  (まんぷくじ)

        京都府宇治市五ヶ庄三番割
        黄檗(おうばく)宗大本山
        拝観料¥500  駐車料¥500

黄檗宗大本山である萬福寺の建築、仏像などは中国様式(明時代末期頃の様式)でつくられ、境内は日本の多くの寺院とは異なった空間を形成している。寺内で使われる言葉、儀式の作法なども中国式である。本寺の精進料理は普茶料理と呼ばれる中国風のもので、植物油を多く使い、大皿に盛って取り分けて食べるのが特色である。

萬福寺は煎茶道の祖・売茶翁(ばいさおう)ゆかりの寺としても知られる。隠元と弟子の木庵性?(もくあんしょうとう)、即非如一(そくひにょいつ)はいずれも書道の達人で、これら3名を「黄檗の三筆」と称する。

このように、隠元の来日と萬福寺の開創によって、新しい禅がもたらされただけでなく、さまざまな中国文化が日本にもたらされた。隠元の名に由来するインゲンマメのほか、孟宗竹(もうそうちく)、スイカ、レンコンなどをもたらしたのも隠元だといわれている。

開山・隠元隆gは中国明時代の万暦20年(1592年)、福建省福州府に生まれた。29歳で仏門に入り、46歳の時、故郷の黄檗山萬福寺の住職となる。隠元は当時中国においても高名な僧で、その名声は日本にも届いていた。

隠元が招かれて来日するのは1654年(順治11年、承応3年)、63歳の時である。当時の日本は鎖国政策を取り、海外との行き来は非常に限られていたが、長崎の港のみは開かれ、明人が居住し、崇福寺(そうふくじ)、興福寺のような唐寺(中国式の寺院)が建てられていた。隠元は長崎・興福寺の僧・逸然性融(いつねんしょうゆう)らの招きに応じて来日したものである。

はじめ、逸然が招いた僧は、隠元の弟子である也嬾性圭(やらんしょうけい)という僧であったが、也嬾の乗った船は遭難し、彼は帰らぬ人となってしまった。そこで逸然は也嬾の師であり、日本でも名の知られていた隠元を招くこととした。隠元は高齢を理由に最初は渡日を辞退したが、日本側からたびたび招請があり、また、志半ばで亡くなった弟子・也嬾性圭の遺志を果たしたいとの思いもあり、ついに渡日を決意する。

承応3年(1654年)、30名の弟子とともに来日した隠元は、はじめ長崎の興福寺、次いで摂津富田(せっつとんだ、現・大阪府高槻市)の普門寺に住した。隠元は中国に残してきた弟子たちには「3年後には帰国する」という約束をしていた。来日3年目になると、中国の弟子や支援者たちから隠元の帰国を要請する手紙が多数届き、隠元本人も帰国を希望したが、元妙心寺住持の龍渓性潜(りょうけいしょうせん)をはじめとする日本側の信奉者たちは、隠元が日本に留まることを強く希望し、その旨を幕府にも働きかけている。

万治元年(1658年)、隠元は江戸へおもむき、将軍徳川家綱に拝謁している。家綱も隠元に帰依し、翌万治3年(1660年)には幕府によって山城国宇治に土地が与えられ、隠元のために新しい寺が建てられることになった。ここに至って隠元も日本に留まることを決意し、当初3年間の滞在で帰国するはずであったのが、結局日本に骨を埋めることとなった。

寺は故郷福州の寺と同名の黄檗山萬福寺と名付けられ、寛文元年(1661年)に開創され、造営工事は将軍や諸大名の援助を受けて延宝7年(1679年)頃にほぼ完成した。


下の写真は堂内ではあるが、「撮影禁止」の立て札はなかったので、びくびくしながらも撮らせて戴いたものである、また、ご本尊の釈迦如来の化身である「布袋」さんがでんとお座りになってたが、ここも撮影禁止の札はなかった。折角の布袋さんであったが、”埃をお召し”になっていて写真としてはあまり評価出来ない状態であったため、削除してしまったのである。このように、この寺は写真撮影に対して制限がかなり緩いのは大変有難いことであった。


ゆったりとした伽藍の配置


お粗末な写真で申し訳ないが、広さを紹介するのに、この一枚しかないもので・・・


以上で”山科宇治の古寺シリーズ”は完結とするが、12月初旬の終わりにきてまだ紅葉に出会えたことは、大変嬉しかった。私の写真の表現能力では、紅葉などアクセントになるものが無いと極めて粗末な写真になるからである。

今日は寒く本格的に冬の到来を見せているが、手術痕の痛みも体力の減退も殆ど無く、単独飛行(?)最長距離往復200kmを記録した。こうやって実績を積み重ね除々に距離を伸ばしているが、さて、次はどこにするか・・・・・?。


ここまでこのブログで恐らく100を超える寺を紹介してきたが、殆どのブログでその寺の肝心要の「ご本尊」の写真を掲載していないのである。考えて見れば、これでは”お寺の紹介”にはならないと言えるかも知れない。ご存知の方も多いと思うが、美術館、博物館、お寺、神社などの殆どの多くの所で撮影禁止であるが故なのだが、これではメインディッシュの無い料理だ、いくら食べても腹が満たされないわなあと、今頃気が付いたのだ。だからと言って寺の紹介を止める事は、ブログを止める事になり、まだ、そこまで決断する気は無く、方向転換は避けられないものの、当分の間、恐れ多くも主人公の居ない田舎芝居を見て戴くことになるので、少しでもご理解を賜りたいのである。


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コメント

shuttle
2011年12月24日 17:44
木燃人さん  今日は
元々仏教は、中国を経由して日本に入って来たものですが、日本風にアレンジされていて、中国の影は、仏典の「お経」くらいにしか色濃くは残っていません。しかし、中国への尊敬の念は、強かったようです。徳川幕府も「隠元和尚」のため、広大な土地など寄進し、日本に残るように努力したのですね。ご解説で、そこらあたりの経過が良く理解できました。大変勉強になりました。素晴らしいお写真にも感謝です。今年もいよいよ押し詰まりました。ご健康回復は、ご同慶の至りです。良いお年をお迎えください。


瀧庵
2011年12月24日 19:27
木燃人さん
ガラリと雰囲気が変わりましたね。 しかしお寺はやはり日本風が似合います。ここ万福寺は中華料理店を想像してしまいました。不謹慎ですみません。
ご本尊の件、別に良いんじゃないですか。子供の頃、隣の神社のご本尊を持ち出して遊び道具にしてました。 写真を撮ってもバチは当たらないと思うのですがね。


木燃人
2011年12月25日 10:23
shuttleさん おはようございます
日本文化の多くが中国伝来であり、当時はよきお手本だったのですねー。今の中国は、お手本にすべきところよりも、すべきでない所の方が多いように思えます。 中国流を日本式にアレンジする技は日本人のかなり得意とする分野で、新しい花を咲かせてきたのではないでしょうか。
お陰さまで除々に回復してきました。しかし、もとの体に戻る事はなく、死ぬまで傷跡とは戦っていかねばなりません。 ことしも一年間、大変おせわになりました。 ありがとうございました。


木燃人
2011年12月25日 10:35
瀧庵さん
そう言えば、中華街を思わせる門構えでしたねー。たまには写真の材料としては面白いですが、頭の中にある"寺”のイメージには合わない異質さを禁じ得ませんが、世の中にはいろいろあるのだなあとも感じた次第。
仏様を崇拝し信仰はしませんが、かと言って蹴飛ばすような積りはありません。信仰することで、その人が不幸を軽減できたり、願いが叶ったと思うことを否定しません、それぞれの自由だと思いますが、仏さんにカメラを向けるなとの言には納得がゆきません。せめて”フラッシュ禁止”ぐらいにして欲しいものです。


sawaka
2011年12月25日 20:33
木燃人さん こんばんは
今年も、心和む良いお寺を紹介いただきました。今回は、、奈良のアジサイ寺を思う様な回廊と広大なお屋敷に、驚いています。鬼瓦が名古屋城の金の鯱のようで、珍しく拝見しました。今までのお寺をひも解いて見ましたが、見つかりません。仏様の写真は、木燃人さんが、胸の中で思い出してくださればと思います。先日の那谷寺には、それは素晴らしい仏像が祭られていましたので、カメラに収めたかったんですが、撮影禁止でした。日本と外国の違いですね。


木燃人
2011年12月26日 10:12
sawakaさん  おはようございます
今年は私にとって必ずしも良い年ではありませんでしたが、しかし、昨年同様、花とお寺でブログを出してきました、粗末なものでしたが最後まで見て戴きありがとうございました。この「万福寺」の後は、残念ながらネタがありません。周りにあるもので何とかと思いましたが、私の能力では不可能と知り、新しいネタが現れるまでの間は、途切れれることになりますので、よろしくお願いいたします。 「ご本尊様」のないお寺の紹介も止む無しのご理解ありがとうございます。来年も寺を神社を撮って行くパワーを戴きました。