2011年12月30日  No 681

2011年の締めくくり


今年もあと数時間でおわります。

今年は東北地方の東の海岸周辺の方々にとっては何百年に一度とも思われる、大きな自然災害とそれにまつわる原発の人災にも見舞われ、多くの命が失われ、日本全体が震えた年でもありました。また、その際に行われた助け合いなどから、人と人の「絆」の有難さと大切さをも知らされました。

一方私個人にとっては、人生最大のピンチに立ったと思っています。 5月半ばまでは、一切の薬を飲むことなく、元気そのもので、京都あたりまでの近県内ではあるが、再々出掛けましたし、時には海外にも足をのばすなど、近所の人が呆れるほどに、重いカメラを持って、あちこちと飛び回っていたのです。

しかし、寄る年波には勝てず、大きな欠陥が見つかり、少し大きめの手術が必要と診断されたのです。医師は80才以上なら手術は奨めない、私の年代は余命が少ない事と、手術の後遺症の危険があり、手術をするか否かは、本人の判断と言う、これには参ったが、かなり不本意ながらも、受けることとしたのでありました。

手術は一応成功したものの、体力の回復は術後6ヶ月経って、漸く見えて来た感じがするようになりましたが、傷跡とその周辺の痛みは毎日の生活にかなりのブレーキとなっていて、痛み止めが手放せない状態が続いています。また、まだ爆弾は完全除去された訳では無く、重い物を持つことや、”気張る”ことなどをしないようにとの制限付なのです

また、何故か今年はみの周りで不幸ばかりが続きました。 その一つは親戚が減ったことです。 私の曾祖父の時代に本家から分家が二軒出来て、これを三役とし、親族の代表的存在とした、親戚付き合いをしていたのですが、今年その三代目の生き残りが、95才でその生涯を閉じたのです。これによって、今の時代としては、親戚付き合いは途切れてしまいます。

具体的には書きませんが、この他にも幾つかの不幸な出来事が幾つか起きて、生きて行くのが以前よりも、相当に苦しくなった体に追い打ちを掛けられたようなものです。それを忘れんがためにカメラとブログに掛けてきましたが、それも中途半端な状態になり、結局は真の趣味になって無かったことを知らされ、今、茫然としている状態です。

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((未完成ブログながら、記録として残すために、後日(2012.02.25)公開とした))

 

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