706 京都-北の古寺(8) 龍源院

2012年03月30日

2012.03.03(土)、少し寒いが好天の京都、大徳寺の中に数ある塔頭の幾つかを尋ねている。ここは常時公開している所が4箇所あり、そのひとつに入った。


「龍源院」   (りゅうげんいん)

         京都市北区紫野大徳寺町82
         臨済宗大徳寺塔頭
         拝観料¥350  大徳寺の駐車場より徒歩2〜3分


文亀2年(1502年)に東渓宗牧(とうけいそうぼく)を開山として、能登の畠山義元・豊後の大友義長らが創建。明治の初めに神仏分離により大阪・住吉神社内の慈恩寺と岐阜・高山城主だった金森長近が大徳寺内に建立した金竜院を合併した。

寺号の由来は、大徳寺の山号である龍宝山(りゅうほうざん)の「龍」と中国・臨済宗松源派の祖・松源崇岳(しょうげんすうがく)の禅を正しく継承する松源一脈の「源」の2文字を採ったものである。


下の庭園を一枝坦(いっしだん)といい、東渓禅師が師である実伝和尚から賜った「霊山一枝之軒(りょうぜんいっしのけん)」という室号から名付けられたもので、丸く象った苔の中に石が立つ亀島が印象的な斬新な庭である。(寺のパンフより)

この”苔”が緑であったら、もっときれいな庭に感じることだろうと、少し惜しまれた。


?沱庭(こだてい)と言われる庭で、宗祖・臨済禅師が住した中国・鎮州城の南を流れる?沱河から名付けられた白砂の庭で、阿吽の石と名付けられた2つの石は聚楽第の遺構といわれる

上はヤシの一種と思われるが、とても美しく、しばし見とれて30回程シャッターを押していた。


東滴壺(とうてきこ)と呼ばれる庭で、昭和35年(1960年)に作庭された方丈と庫裏との間の現代壺庭の傑作で、白砂敷きのなかに5つの石が3・2の石組みに分けて配されている


このあと実際は、西隣にある「今宮神社」に向ったが、編集の都合上最後に掲載するものとし、その後、ここより更に南下して、上京区の入口にある「本法寺」に入ったが、そのレポートは次回としたい。

            < 続く >


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コメント

瀧庵
2012年03月30日 20:27
木燃人さん
大徳寺の中にこのような院がいくつかあるのですか? 流石大徳寺ですね。大徳寺が親分なら龍源院は子分。 子分にしても何処に出しても立派なお寺です。 今日散歩の友人と小倉山へ登ってきました。 3時間近くも歩き、完全に参りました。ご苦労が身にしみます。


shuttle
2012年03月30日 20:42
木燃人さん
少ない石を置き、周りを白砂で埋め、且つ、波模様をつけて、大海にも似せる作庭。竜安寺が有名ですが、京都のお寺のあちらこちらにあるのですね。当時から一つの型だったのでしょうか。


sawaka
2012年03月30日 21:17
木燃人さん こんばんは
三月も上旬でしたら、京都はさぞ寒かったでしょうね、落ち葉一つない、掃除の行き届いた寺巡りは、落ち着きますね。 明治の初めに、神仏分離が成されたと、大変勉強になりました。京都は立派なお寺が多いですね。


木燃人
2012年03月31日 08:36
瀧庵さん
大徳寺の資料からざっと調べたら、”院”とか"庵"の付く塔頭(子院)らしきが22もありました。 本文にも書きましたが、一方で本体の「大徳寺」は今どう言う位置でなにをやってるのか、知りたい所です。
私も最近は、日頃の運動量が減ってることもあってか、耐久力が落ちてきたように感じる事が多いです。


木燃人
2012年03月31日 08:49
shuttleさん
親元(?)が「禅宗」の例えば「臨済宗」などには、枯山水はよく見られます。文献によると、”悟りを得るために、言葉だけでなく、師の心から弟子に真理を伝える、抽象的な考え方の一つが「枯山水」や「水墨画」”だと書いてありました。
しばしその場に佇んでいると心が休まる思いがするのは、そのせいかも知れません。


木燃人
2012年03月31日 08:55
sawakaさん おはようございます
何故か今年の3月は大変に寒く、花もなかなか咲き初めてくれませんが、私達がここを訪れた時は、たまたま、歩けば寒さを感じない、ちょうどよい気温でした。
そう言えば、この大徳寺の各塔頭ともに庭の手入れや清掃が行き届いているので、やはり気分がよかったです。