730 称名寺 (奈良)

2012年04月17日

奈良の古寺めぐり (5)

2012.04.02(月)、好天に恵まれ久々の奈良の古寺を回っているが、先ず「帯解寺」を見て、「大安寺」で一年間のお守りを感謝し、更に向こう一年の"がん封じ"を祈った。そしてその後「福智院」「金躰寺」「法徳寺」と見て、本日6つ目のお寺にやってきた。


「称名寺」  (しょうみょうじ)

        西山浄土宗  日輪山
        奈良市菖蒲池町
        拝観無料  駐車無料


称名寺は、南都興福寺の学僧であった専英、琳英の兄弟が、法相学を修めた後弥陀本願の法に触れ念佛の教えを乞うた京都西山三鈷寺の澄忍上人と力をあわせて建立した常行念佛の道場を創始としその創建は、文永二年(1265・鎌倉時代)と伝えられる。

当初は興福寺の北に位置していた為、興北寺とも呼ばれていたが、室町時代に現在の地に移転された。
開創以来興福寺の別院とし、四宗(浄土宗、法相宗、天台宗、律宗)兼学の寺として、毎年八講が執行されていたが、明治七年(1874)の廃宗の令により興福寺を離れ現在に至っている。

なお、寺伝によれば、室町時代には東西400メートル、南北300メートルの寺域を有してたが宝永元年(1704)四月、南都の大火で類焼し元文年間(1736−1740)に再建されたが、再び宝暦十二年(1762)の火災で諸堂全てを焼失し、当山第二十四代鸞空上人が明和元年(1764)以後四十年の歳月をかけて、享和二年(1802)に現在の本堂及び茶席(独盧奄)のみが再興された。

したがって現在では、本来も本尊の阿弥陀如来(光烟光佛と称す秘佛)と共に、東堂・西堂に在った釈迦如来及び弥陀如来の三尊を以って当寺の本尊としてお祀りしている。


お寺に来て、仏様に逢わずして帰るのは、残念なことではあるが、固く締めた扉をわざわざ開けて戴くのもかなり厚かましい事と思い、外から家内安全を祈るのみであった。


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コメント

shuttle
2012年04月17日 09:44
木燃人さん
このお寺は、浄土宗ですか。「称名寺」、ひたすら念仏を唱えて極楽往生を願うのですね。お寺の歴史も、如何にも当時の新興宗教らしいです。我が宗派「浄土真宗」も、この一派です。しかし、私には宗教心が乏しくていけません。「奈良市菖蒲池町」と言う地名から、多分近くにある「菖蒲池遊園地」を思い浮かべました。その昔、この遊園地で遊んだころがあるのです。


木燃人
2012年04月17日 12:45
shuttleさん
そうですねー。私もこんなに足しげくお寺に参拝してますし、時には神妙に両手を合わせますが、宗教心となると殆ど無いに等しい状態です。それでも最近は、仏さん、お寺、宗派、その教えなどについて知識を得ようと本を買ったりしてますが、信仰心が増すことはないように思います。


瀧庵
2012年04月17日 12:45
木燃人さん
ここも例外でなく大火に遭っています。戦で武士がわざわざ敵の本拠とならぬ様に火を放った事も多々あったようです。 しかし武士と言えども仏様は怖かったらしく仏像だけは非難させたと聞いています。建物は近代のものでも仏様は当時のものも多いようです。 そういう意味ではご本尊お留守のお堂だけでは意味がないと言う事になるのでしょうか。しかしそんな仰々しいものでなく写真を愉しむ者には関係の無いことです


木燃人
2012年04月17日 15:23
瀧庵さん
当時の最高レベルの技術を使った建物などが、何度も焼かれたなんて、本当に勿体ないことだと思います。敵の本拠とならないようにと焼いたなんて、もっと他に方法が無かったのかと言いたくなります。
奈良の寺で聖徳太子が建てたと言う「7重の塔」が2塔あったそうですが、これも焼かれてしまったが、心棒になる木(多分檜の大木)が無くて、その後は建てられないとか言ってました。是非見たかった、惜しいことをしました。そう言えば、先日「八坂の塔(五重)」の内部に入ったら、真ん中に直径70cm位の心柱がありました。