775 八大神社(京都)

2012年05月29日

新緑の京都古寺めぐり(3)

陽気に誘われて、新緑のまばゆい京都左京区の真ん中くらいの所に来て、「金福寺」「詩仙堂」と見て、隣を見ると「八大神社」があり、宮本武蔵にゆかりのある神社と解り入って見る事にした。


「八大神社」  (はちだいじんじゃ)
          京都市左京区一乗寺松原町
          拝観無料

八大神社は永仁2年(1294年)から約700年の歴史ある、京都一乗寺の氏神さま。古くから「北天王」(北の祇園)と称され、皇居守護神十二社中の一つにもなっている。御祭神は「スサノオノミコト・イナダヒメノミコト・ハチオウジノミコト」で、方除・厄除・縁むすび・学業の神様として厚く信仰されている。また、八大神社本殿西に、宮本武蔵が吉岡一門と決闘した当時の「下り松(さがりまつ)」の古木が保存されており、宮本武蔵像も建立された。


下の写真左端には武蔵の像が見える。決闘の時は武蔵21才であったので、像は子供と思えるほどの若さでつくられていた。


吉川英二の随筆より

武蔵が一乗寺下り松に立って多数の敵にまみえた日のまだ朝も暗いうちに、彼は、死を期したこの危地へ来る途中で、八大神社の前で足を止めて、「勝たせたまえ。きょうこそは武蔵が一生の大事。」と彼は社頭を見かけて祈ろうとした。拝殿の鰐口へまで手を触れかけたが、そのとき彼のどん底からむくむくわいた彼の本質が、その気持ちを一蹴して、鰐口の鈴を振らずに、また祈りもせずに、そのまま下り松の決戦の場へ駆け向ったという。

武蔵が自分の壁書としていた独行道のうちに、「我れ神仏を尊んで神仏を恃(たの)まず」 と書いているその信念は、その折ふと心にひらめいた彼の悟道だったにちがいない。武蔵にこの開悟を与えたことに依って、一乗寺下り松の果し合いはただの意趣喧嘩とはちがう一つの意味を持ったものと僕はそう解釈する。

なお、その下り松は根元のみがガラス板で区切られた中に朽ちかけた状態で残されていた。


こんな小さな神社にもこのような面白い曰くがあることを改めて知った次第。


                     << 続く >>


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コメント

瀧庵
2012年05月29日 09:04
木燃人さん
武蔵の話、大変興味をもって読ませて頂きました。武蔵の若い頃の像があったとは驚きです。 父が武蔵が好きで巌流島など良く話を聞いたものです。亡くなるまで武蔵の話をしていました。 私事ばかりのコメントで申し訳ないですが6月18日(父命日)には武蔵像も拝んできます。


木燃人
2012年05月29日 12:08
滝庵さん
飛び込みで入ったのですが、面白いし少しために成る話を知りました。武蔵が「我れ神仏を尊んで神仏を恃(たの)まず」と言ったとの言葉に感動し、私なりの解釈を書いたのですが、消されてしまいました。こんな事は多々あり、もう我慢も限界です。 近日このブロぐのみ変えますので、再々の変更でお手数を掛けますが、変更後のURLは連絡しますが、最悪はホームページの表紙のURLを記録して戴けたらと思います。


shuttle
2012年05月29日 18:40
木燃人さん
私も、昔、吉川英治氏の「宮本武蔵」を、夢中になって読んだ事があります。しかし、残念なことに、何もかも忘れてしまいました。「一乗寺下り松の決闘」も、誰が相手で、どう言う経緯だったのか思い出せません。ただ、そう言うことがあったという証拠に、いろいろ言い伝えられているのですね。「我、神仏を頼まず」と言う武蔵の言葉は有名ですよね。


木燃人
2012年05月29日 18:40
shuttleさん
私は"名作”と言われている本は、大きくなってからは殆ど読んでなく、会社に入って、最初は知識不足を補うことと、無線技士の免許を取るための勉強に数年没頭してましたし、その後はほとんどが推理小説や活劇物ばかりでしたが、「宮本武蔵」は読んでいません。お恥ずかしい事ですが、この言葉もこの日初めて知りましたが、遅ればせながらやっと、大きく心を打つ言葉に出会いました。